進化はしないが、変化はできる。できる男になってやる。
2009年 9月 11日
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アキトの履歴書 23
2009.09.11
カテゴリ : ルーツ/アキトの履歴書
(ルーキーズ 2)
マラソンと言えば、4月には村のマラソン大会があり、これには一度出場した。
確か、昭和38年の伊那峡をスタートするレースであったと記憶している。この時は2着であった。
その翌年、昭和39年には東京オリンピックが開催され、兄の世話で代々木の国立競技場で
陸上競技を観ることが出来た。この時が私にとって、東京初上りであった。
100メートルでは当時、“人間機関車”の異名を持った黒人選手の、ジョン=ヘイズの活躍を観ることが出来た。
トラック競技では、ソ連の女性選手を筆頭に美女が走る様や、黒人選手が躍動感いっぱいに走り廻る姿、
その肌と白いパンツのコントラストが今でも脳裏に焼き付いている。
その後、東京から帰って来てからも白黒のテレビではオリンピック一色である。
男子マラソンを観ていると、アベベに続いて2着でトラックに戻って来たのは、何とルーキーの“円谷幸吉”であった。
自衛隊体育学校出身の彼は、トラックを周回しゴール手前で後続のランナーに抜かれてしまうが
3位の大活躍であり、涙が出るほど感動した。今でも強烈な印象があるほどだ。
あの頃の日本にとって、大ヒーローの誕生であった。
立ち戻って、私の話。
マラソンで優勝した感動と同時に、実はその逆で、運動会でドン尻になっての恥ずかしい思い出もある。
姉と一緒にリンゴの皮むき早食い競争に出たのだが、
常日頃の習慣か、姉はリンゴの皮を“馬鹿正直”に丁寧に薄くむくのである。なかなか食べるところまで行かず、
これまた大変なことになってしまった。
他の選手は要領よく、手早く、皮を厚くザクザクとむいて、どんどん先に行ってしまう。
もう、私たち以外誰も居なくなってしまった。なのに、まだ皮むきは終了しないのだ。
とうとうダントツのビリとなってしまったのだが、あの時はあれで楽しい思い出の一つとなっている。