進化はしないが、変化はできる。できる男になってやる。
2010年 1月 16日
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アキトの履歴書 34
2010.01.16
カテゴリ : ルーツ/アキトの履歴書
(ちょい悪仲間との公民館活動 2)
そんな仲間とのバスケットの練習も終わる夏の夜は、戸締りをして外に出、一休みしてから帰ったものだが、
たまに「のどが渇いたな」と言っては付近の畑のトマトを“チョット拝借”した時も度々あった。
(若気の至り、時効という事でお許し願いたい)
私自身、新聞配達を3月で辞め、以後は金銭的にはキビシイ現実もあり、パチンコ以外娯楽は皆無であった。
その頃、お寺の住職さんが私に、
「あんた、バスケットをやっている小木曽さんだね。札付き(ふだつき)の若い人たちが、
最近とても良くなってくれて、良い仲間作りをしてくれて。とても良い事ですよ」
と、褒められた事を想い出す。
私自身、特別な思いでバスケをやっていたわけではなく、あくまで自分の趣味でやっていたもので、
私の言う事を、ごく自然に仲間が聞いてくれただけなのだ。
このバスケの延長で、私の先輩達(青年会)とバスケットクラブが、
それから5年間ほど全盛を誇っていく時期となった。
あの頃は公民館のグループ活動が盛んに行われていた時代でもあり、
料理、お花、音楽等、すでに色々な活動があった。
しかし、私たちのような体育会系のバスケットグループは、その中でも異色の存在であったようだ。
ある時は、料理グループの方たちの作った料理をご馳走に、腹いっぱい頂いた事もあった。
若い娘たちと指導している先生が居たのを記憶している。
私たちのバスケットクラブの場合は、指導者は居ず、技術的なものを含め、私が指導者を兼ねて活動していた。
思えば、公民館活動は料理グループを筆頭に、嫁入り前の人、若い人たちが、
教養、資質向上、作法を習っていた場であった。若い者が社会に適応できるようになるための社会教育として、
有効な人づくりとして、十分その機能があったのだろう。
今日でも企業内で習い事グループが福利厚生の一環として行われているところもあるようだが、
現在の企業、社会にはそうした余裕がないのか、余り聴き及ばない。