進化はしないが、変化はできる。できる男になってやる。
2013年 5月 23日
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アキトの履歴書 42
2013.05.23
カテゴリ : ルーツ/アキトの履歴書
(青年期6~目覚める)
青年会(町青年会)、消防(第二分団)入団と活動の場が広がり、仕事にも身が入るようになり、
仲間も祇園祭を通じ増えてきた。
ちょうどその頃、私がオンボロ工場で仕事をしていた所へ、中学で同級生だった小林晃君が信大の休暇の折、
ひょっこり顔を出したことがあった。
まだまだ、かけだしの小さな内職工場であったので、若干の恥ずかしさを感じた。
ただ、次から次へと新しい仕事も入り、売上げの方も段々と右肩上がりに伸びて行く時期でもあった。
“東京コイリング”製のトーションマシンを買いに、父と東京まで出かけて行ったのもこの頃だ。
機械らしいものを購入したのはこれが最初だった。
その際、父の日発時代の仲間であった保科発條の社長とも会えて、昔話に花が咲いた。
当時、弊社の仕事といえば巻込み専門で、タカノさんの扱う品や、高島屋日発の引張ばねを、
来る日も来る日も巻いた。
後加工《ライン加工立曲げ2、フックR加工2、切断加工2、仕上げB(熱処理)》の工程が、
タカノの外注先であるカク忠さんへと途中から専門になってからも、この品はしばらく続いた。
その後にきたのも巻込み専門で、タカノさんのところの品。
折り畳みのコウモリ傘に使われる極細の特殊な長物フック品(両端が二重フックになった加工品)を手がけた。
月に数十万個の単位で巻込み、後工程へ供給し続けた。
これには、“那須工業”製のコイリングマシンを購入し充てた。ちなみにこのマシン、今も現役である。
日発の仕事をタカノさんが受け、その量産品の数量が多くやりきれない分を、
弊社が応援する仕事として更に受けるという、いわゆる孫請けスタイルだった。
この品は、ばねの径を細く巻き込むために、芯金(しんがね)もそれに合わせて細いのを用意しなくてはならない。
が、時々この鉛筆の芯ほどの太さの超硬製の芯金が、巻込み生産中に折れてしまうので、
大変苦労し、折れぬよう工夫を重ねた。
材料の線径はφ0.55で展開長が長く、その展開長を稼ぐために扇形ギヤーを特注で作成して対応した。
弊社には技術屋(職人)がいなかったし、父もやった事がない仕事だったので、とにかく、
私が一刻も早く機械を使いこなせるようになるしかなかった。
独りで考え、冶具の部品等も自分で工夫して作ってみたり、失敗もしたりと勉強の連続だった。