小木曽のバネブログ

進化はしないが、変化はできる。できる男になってやる。

2013年 6月

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アキトの履歴書 44

2013.06.20

カテゴリ : ルーツ/アキトの履歴書

 
(青年期7~祭りのトラブルと迷い子リーダー)
 
 私が青年会に入った時は、19才。消防入団と同時期だった。(昭和37年)
 
町の青年会長は1年毎に代わることになっていた。上下3年くらいの世代で協力し合う仲間が出来ていて、
 
いわば結(ゆい)のような、結束力が受け継がれていた。
 
 1年、2年、3年経った頃に、会員同士での次期会長選挙が行われた。この時、2年先輩の二人が同数となり、
 
決選投票の末、決まったのが小田切保鉱氏だった。一方、会長になれなかったI氏は悔しかったのか、
 
会合や慰労会等、事あるごとに、やたらと場の雰囲気をぶち壊す行為を繰り返し、皆を困らせていた。
 
 飲み会のあったある日の終了間際には、とうとう台ごとひっくり返した。
 
私は三役になっていたので、場が白けるのはまずいし、誰にも止められないと考え、
 
『おい。喧嘩売るなら外へ出ろ。』
 
と一喝し、本人を連れ出した。
 
「何だ、お前。俺に文句があるのか。」
 
『文句が言いたいから外へ出てもらったのだ。』
 
と言ったか言わないうちに、手を出して突っかかって来たので、境内ではまずい、
 
下の宝蔵庫の前で決着をつけようと言って石段を下りていった。
 
2、3回どつき合った時、
 
『先輩かも知れんが悪いのはお前だ。絶対に許せん。酒に酔っていても容赦しないから、そう覚悟しろよ。』
 
と啖呵をきってやった。
 
こちらのあまりの剣幕に、今晩はおとなしくするとの事で公民館へ戻った。ところが、会が終って片づけをし、
 
神社の石段を下りたところで揉め事の続きになった。子分のような立場のM氏が私に突っかかって来たのだ。
 
『何だ、お前。悪いことした奴の肩を持つのか』
 
と、また一喝して突き飛ばしたところ、彼は転んでしまった。皆の前で恥をかかせてしまって悪いとは思ったが、
 
黙っていれば後々困ることになる。
 
祇園祭のような一大イベントを成功させるには不満分子の芽は早めに摘むことだと、自分の役目を考えていた。
 
 後に聞いた話では、少し酒癖が悪く、気に入らないとすぐにノミを振りかざして威嚇する人物らしかったので、
 
刃物を持って来られては、と、しばらくは警戒していた。
 
しかし、単純な者同士、仲直りは早かった。
 
 

アキトの履歴書 43‐2

2013.06.19

カテゴリ : ルーツ/アキトの履歴書

 
ここ宮田では、町区に人口が集中して盛っていた昔、生糸・繭(まゆ)を主体にした製糸産業が、
 
全国的にみても特に盛んであり、活力に溢れた一時代を築いた歴史があった。
 
 戦後を経て、これに取って代わった大小様々な起業家たちにより、村の面積は狭いにも係わらず、
 
現在の製造業群のある村へと成長したのである。
 
一時は、働き先が多いので他地域より労働者(サラリーマン)が宮田に流入し、競争が激しく、
 
若者(金の卵たち)は自然の流れで大きな会社、評判の良い職場へと就職した。
 
宮田に限らず日本中、若者は中学を卒業すると都会へ、大企業へと次々に集団就職していった。
 
私が村に残ったこの頃も、長男、跡取り以外は殆んどが県外へ出ていく時代だった。
 
それ故に、村の最大イベントである祇園祭を受け継いでいくのは、人数的にもギリギリで大変な事業だった。
 
飾り道具は日数をかければ出来るものの、祭り当日は、山車、あばれみこしと人足がいる。
  
 会長になった人は、それを仕切るのに相当なプレッシャーがかかった。
 
とにもかくにも一致団結、まとまって協力してもらわないことには出来ない。
 
何年か前の先輩で伊那峡に立った(身投げしようと)ほど思い詰めた人もいた、とも聞いた。
 
 特に、みこしは一人では担げない。動かせない。統率のとれた運行も欠かせない。
 
『お囃子は協力出来ても、みこしは怖くて嫌です』
 
という人も何人かいた。
 
 まさに、あばれみこしと云われる故のことだった。
 
私の姉が青年会に属していた頃は、山車は、みこしの出る前(神輿を練って歩く先。道々)を清める意味があり、
 
14日の昼から町内全部を廻り、翌日の本祭にも山車は運行されていた。
 
京都の祇園祭よろしく(似せた)山車は2階建てで、下には大太鼓、小太鼓、鼓(つつみ)、
 
三味線、オオカワ、チンチン(金)等が載り、山車の後部に横笛で演目を奏うでながら歩く
 
囃し方衆が続くという行列を組む。
 
ちなみに、宮田の津島様のお囃子の演目には『本囃し』と『帰り囃し』があるが、山車運行の道順にて
 
津島神社から遠のくコースをとっていく時は『本囃し』、
 
津島神社に近づくコースをとる時は『帰り囃し』を演奏して練り歩くのが常である。
 
帰り囃しの駅前から神社に向かう道中で、特別な踊り~ひょっとことおかめ~が、うれしはずかしの身振り手振りの
 
『ばかおどり』が山車の2階で披露されると、沿道の大勢の観衆は拍手喝さい、盛り上がったものだ。
 
階上の二人は、それぞれ団扇(うちわ)を手に派手に踊り、汗だくとなるも、お面をかぶり踊っている本人たちは、
 
誰かも知られないので恥も外聞も忘れ、この時ばかりは山車の花形。
 
まさに千両役者だ。
 
私も23歳、会長の大役になった年(神男)に一度だけ、人知れず演ることが叶った。
 
祭り当日まで段取りはすべて順調に進み、
 
唯一、梅雨が長引きヤキモキしていたところ、カラッと良い天気となり、嬉しくて、
 
踊りながらお面の下でうれし泣きをしたことを思い出す。