進化はしないが、変化はできる。できる男になってやる。
2014年 8月 13日
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アキトの履歴書 52
2014.08.13
カテゴリ : ルーツ/アキトの履歴書
(青年期~革新に名を借りた紛い物(まがいもの)の正体)
赤い霧一掃を、私達町青年会で徹底し、中立無党派を推進したため、
(村一番の大所帯である)町青年会が抜けた村青年会の全体はタガの外れた状態となり、
村中に青年会のあり方についての大論争が巻き起こった。
この後数年で村中の青年会・各単会が消滅することになるとは、私達も全く考えてもいなかった。
離脱の象徴となった一件は、町青年会員全員と村、郡の連合役員幹部との討論会だった。
自主独立のはずの各青年会単会へ、左翼かぶれの行事等の参加・協力の押し付けはおかしい、
とんでもない状況である。
今後はこの場以降、一切の係わりを断つ。という総会を開いた。
色々な発言があったが、決定的な質問となったのは、
『皆さんは一体、何を目標にして、どんな世の中にしたいのか。それは、実際に日本に合うのか、出来るのか。
答えをちゃんと言って下さい。』
であったと思うが、彼らは全く返答が出来なかった。
こんな人たちの押し付けはまっぴらごめんだという事で、町青年会は村全体の組織から独立した。
この年の冬、私が戸隠に年末年始の連休中、毎年のように何人かでスキーに泊まり込みで行って帰ってみると、
小田切氏が血相を変えて家にきて、
「小木曽、えらいことになっているぞ」と言う。
追い詰められた共産党かぶれの人等が、いわゆる“アジビラ”を、事もあろうに村内と近隣の市町村の一部にまで、
新聞の折り込みチラシの全戸配布の要領よろしく配っていた。
文中には名指しの“小木曽”がゲラ刷りされている。
全く身に覚えのない文面にビックリする他なかった。それは、
・・・・・
私がある国会議員からお金を受け取り、共産党(の青年部組織)を貶して(けなして)大混乱に陥れた
・・・・・
だったが、全くのデタラメ、架空の話で思わず笑っちゃうほどの内容に、
たまげたと同時にバカな連中だとあきれたのだった。
私の名前と、全く知らない国会議員の名前まで挙げて、書いてあるそのビラを、いつかの証拠として、
しばらくの間手元に残してはみたが、相手するにあまりにバカバカしく、
村民の内でも取り立てて話題にする者もいないようだった。
このことは、私が、早く青年会を卒業して身を固め仕事に精を出したほうが良い、
こんなバカな連中と付き合うのは御免だ。と思う一因となった。
中越、大久保以外の各単会の方々から、
『新しく青年会組織を発足して会長を』とも言われたが、固くお断りを通した。
多少恨みを持った方もいたと思うが、私たちの年代以降、
ここ宮田村で、共産党が表立った活動を青年会では出来ないこととなり、結果良かったと考えている。
今から半世紀ほど前の話。私が21、2歳の頃のことだ。
(注:1964、65年頃)
(意見には個人差があります。不定期で連載。回数は未定)