アキトの履歴書 49

2013.10.5

 
(青年期~青年会長の輝きと影)
 
 私の年より2~4年上の先輩会員が主力メンバーとして、町の祇園祭を仕切る時代がやって来たが、
 
大方の会員は2~3年の経験(キャリア)しかない。そうは言っても横笛を10曲位マスターして、
 
良い音色が出せるまでには、最低でも2~3年みっちり練習しなければ適わない。それだけの技術が必要だった。
 
 入会して、まず男子会員は笛で音が出るか、出せるのかが大変難しいことだった。
 
ある年代では横笛の上手い人にも限りがあり、ダメな人はどんなに練習しても良い音色にはなれない。
 
そんな状況で引き継いできていたので、上手な人が2~5人いた年代から、ある年に突然(実際は突然ではないのだが)
 
3人も抜けたら大変なことになってしまい、山車の囃し方の格好がつかなくなってしまう事が悩みの種だった。
 
そのため、無理なお願いをして、退会した先輩に笛だけは出て頂いていた。
 
 この頃、ある先輩にお願いに行ったところ
 
『いくら、くれるかい』
 
と訊かれたと聞き、私は
 
「そんな先輩の指導や応援なら、二度とお願いしない。こちらからお断りだ。」
 
と憤った。
 
ボランティアなのにお金を要求するなんて、とんでもない。へぼい先輩がいたものだ。
 
その方は、後に村議にもなったが挫折し、若くして亡くなられた。
 
 そんなこともあったが、協力して頂ける方々には、青年会を抜けても数年、ご指導と協力を継続してもらった。
 
本当に頭が下がる思いで、今も感謝の念に堪えない。
 
 だから、毎年、一年任期の神男(会長)になった人は、本番を無事に終えるまでの色々なプレッシャーは人知れず、
 
大変な重荷であったと思う。
  
これは、実際に背負った人でなければ苦労は分からないだろう。
 
 まさか、翌年、私自身が会長を務めることになるとは、その時は予期していなかった。
 
 

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