アキトの履歴書 58

2015.10.26

 
(祇園祭:ひき子復活で大盛況)
 
 私たちの努力が天に通じたのか、祭り当日は、実に8年ぶりのひき子復活を祝福するかのような快晴となった。
 
朝早くから、幟(のぼり)立て、市松飾りつけ、神殿前の対の大きな龍燈設置、
 
山車の杉枝の飾り準備と人形の設置準備(人形師が高遠から出向いてきての飾りつけ)
 
男子総出で10時頃まで手分けしての作業は、大変な忙しさであった。
 
 子供ひき子衆の参加者は、前日までに有線で放送して公民館に来てもらい花笠を渡した。久しぶりの復活だったが、
 
親子連れで大勢の方が取りに来てくれ、用意したものが足りなくなった。不足分は会員の分で追加補充した。
 
急ぎ家へ帰り、朝食をすませると浴衣と地下足袋、三尺(空色)、笛を風呂敷に包み津島神社へ行く。
 
(このパターンを毎年繰り返していた)
 
夜警所で囃し連の面々がそれぞれ浴衣にたすき掛け、越後獅子よろしくタツケをはき、足袋に草履履き。
 
頭に豆絞り、背中に花笠をつけて、芸人姿の完成である。
 
支度の済んだ者から出発場所である駒ヶ原の里宮(さとみや)神社へ集合。12時からの出発の為、大忙しで歩いていく。
 
その前に、先輩に運転をお願いしてある山車の荷台には大道具等を載せ、駒ヶ原まで運んでもらう。
 
 里宮には、すでにひき子の親子連れを始め、女子会員、氏子の他多数が境内から溢れていた。
 
山車の準備と引手の綱の形を整えて、会長の私と氏子総代が短い挨拶をし、北を目指していよいよ出発である。
 
最初の越後獅子の演奏は、私にとって色んな意味で感動ものだった。
 
久しぶりのひき子連だったので事故がない様に前後注意をしながら、あらかじめ停車場所を設定してあるところまで
 
山車を運行しては、その都度、手踊り・囃子を行い、ご祝儀の披露をして進んでいった。
 
(当時、祝儀の披露は200円の場合それを10倍して、○○様ひとつ金2,000円也と言う)
 
 当時は、300円位が多かった中で、タカノさんが破格の5,000円にはびっくりした。
 
(また、この年から数年後、タカノ商工会長さんのご尽力により、運行する専用の屋台が商工会より寄贈された。
 
今日に至るもなお、その本体は使用されている。それから、祭りの補助金も氏子に毎年出して下さった。
 
現在は、耕地で祭典委員を任命し、山車運行と神輿運行が行われている。)
 
 この年の祇園囃し連には、見物客がとても多く、行く先々は大変な拍手喝采、大いに盛り上がった。
 
北町のはずれ(キネヤ)で大休止となったが、私は嬉しくて嬉しくて大感激だった。
 
駅前で休憩となり、ひき子全員へ参加御礼のお菓子を配布した。駅前の折り返しから神社までは帰り囃しである。
 
 私は嬉しさのあまり、ヒョットコの面を借り、駅前から銭屋さん前に至るまでの道程でバカ踊りをした。
 
大成功と大感激で夢中で踊った。この時は人知れず、ヒョットコのお面の内はうれし涙と汗でびっしょりだった。
 
あの時の感動は今でも忘れられない。
 
町青年会長として会員の皆に資質向上や、その目的を理解してもらい一致団結したこと、何をどう遣り繰りすれば良いか、
 
私は大変ながら良い体験をさせてもらった。何より、大きな事業をやり遂げたという達成感を味わうことが出来た。
 
ご協力頂いた全ての方、事に、感謝の念を抱いた。
 
 500年の伝統ある祇園祭り、年に一度のイベントで主役として果たせたことは、やれば出来るという自信になり、
 
私の人生の大きな糧となったのである。
 
 

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